危険運転致死傷罪とあおり運転
弁護士 堀 哲 郎
問題の背景
今から22年程前まで、人身交通事故を起こした場合の刑事責任を規定した法律は刑法211条の「業務上過失致死傷罪」のみで、その法定刑は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金でした。
(他に無免許運転や飲酒運転等の道路交通法違反が加わっていたとしても、上限は5年の1.5倍を超えることはできません(刑法47条)。)
然るに、当時、極めて危険かつ悪質な運転行為により複数の尊い人命が奪われるという重大事故が発生するなど、上記の法定刑では被害者感情はもちろん国民感情としても到底納得することはできないという事態が出来し、法定刑の厳罰化が叫ばれるに至りました。
法改正の経過
人身事故を起こした場合
人身交通事故を起こした場合の刑事責任を規定した法律を整理してみます。
前記のとおり、平成13年9月当時は、刑法211条の「業務上過失致死傷罪」で、法定刑は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金でした。
その後、同条2項に「自動車運転過失致死傷罪」が追加され、法定刑が、7年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に引き上げられるとともに、新たに同法208条の2に「危険運転致死傷罪」が追加され、法定刑は、負傷させた場合が15年以下の懲役、死亡させた場合が1年以上の有期懲役というように厳罰化されました。
そして、平成25年には(施行は平成26年5月20日)、上記「自動車運転過失致死傷罪」及び「危険運転致死傷罪」が刑法から削除され、新たに特別法として成立した「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律(自動車運転死傷行為処罰法)」の中に「危険運転致死傷罪(同法2条)」、「過失運転致死傷罪(同法5条)」として規定されました(法定刑は変わりません)。
さらに、令和2年6月5日、自動車運転死傷行為処罰法の「危険運転致死傷罪(同法2条)」の改正がなされ、処罰の対象となる行為類型が追加されました(下記5号と6号が新設され、これに伴い旧5号と旧6号はそれぞれ7号と8号に繰り下げられました。)。(法定刑は変わりません)
・5号:車の通行を妨害する目的で、走行中の車(重大な交通の危険が生じることとなる速度で走行中のものに限る)の前方で停止し、その他これに著しく接近することとなる方法で自動車を運転する行為
・6号:高速自動車国道又は自動車専用道路において、自動車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の前方で停止し、その他これに著しく接近することとなる方法で自動車を運転することにより、走行中の自動車に停止又は徐行(自動車が直ちに停止することができるような速度で進行することをいう)をさせる行為
なお、令和4年の刑罰法令の改正により、「懲役」、「禁錮」は、「拘禁刑」に1本化されます。
人身事故に至らなかった場合
従前、人身事故に至らなかった交通事故の場合、もっぱら道路交通法上の問題とされてきましたが、令和2年に重要な改正がなされました。
令和2年6月2日、道路交通法が改正され、高齢ドライバー対策の他、あおり運転(妨害運転)罪が新たに規定されました。
あおり運転(妨害運転)罪の法定刑は、妨害を目的としたあおり運転をした場合が3年以下の懲役または50万円以下の罰金(同法117条の2の2 ・11号)、あおり運転により著しい交通の危険を生じさせた場合が5年以下の懲役または100万円以下の罰金と規定されました(同法117条の2・6号)。
なお、令和4年の改正により、「懲役」は「拘禁刑」とされました。
危険運転致死傷罪とあおり運転
2020年(令和2年)の道路交通法及び自動車運転死傷行為処罰法の改正のきっかけとなったのが、2017年(平成29年)6月5日に発生した、いわゆる「東名高速道路あおり運転事故」です。
事故(事件)の概要
東名高速道路の追越し車線で、被告人の車が被害者の車を強引に停車させた上、被害者に暴行を加えたところ、直後に後ろから来たトラックが被害者の車に追突する事故を起こし、被害者夫婦が死亡、子2人が負傷したという事案です。
刑事裁判
争点
主な争点としては、速度0㎞/h(車を走行させていない状態(停止状態))が原因で死傷事故を起こした場合にも自動車運転死傷行為処罰法の危険運転致死傷罪(同法2条)が適用できるかが争われました。
同法2条4号には「交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」と規定されているのに対し、被告人の車は速度0㎞/hで停止していたため、文理上は、被告人に危険運転致死傷罪を問うのは困難と考えられるからです。
当然のことながら、弁護側は、事故は停車後に起きており、危険運転致死傷罪の構成要件に該当しないとして、無罪を主張しました。
一方、検察側は、進路を妨害し、無理やり停車させる一連の危険な運転が事故につながったとして危険運転致死傷罪の成立を主張しました。
裁判所(第一審横浜地裁)の判断
第一審横浜地裁は、2018年(平成30年)12月14日、ほぼ検察側の主張に沿う形で、高速道路上において4回にわたって進路妨害を繰り返し被害者車両を停車させた一連の行為は、追突事故を誘発したもので、被害者の死亡と因果関係があるため、危険運転致死傷罪が成立すると判断しました。
その後の経緯
その後、控訴審(東京高裁)では、2019年(令和元年)12月6日、第一審の訴訟手続に法令違反があったことを理由に原判決が破棄され、審理は横浜地裁に差し戻されましたが、高裁判決も妨害運転と事故の因果関係を認め、危険運転致死傷罪の成立を認定しました。
そして、差し戻し後の裁判で、横浜地裁は、2022年(令和4年)6月6日、差し戻し前の一・二審と同じく、被告人が妨害運転を行ったこと、妨害運転と被害者の死傷との因果関係も認め、危険運転致死傷罪の成立を認めました。
これに対し、弁護側は、同日、判決を不服として控訴しました。
このような状況の最中、前記のとおり、2020年(令和2年)6月に道路交通法及び自動車運転死傷行為処罰法の改正が行われ、立法的解決が図られたわけです。
結び
前記東名高速道路あおり運転事故(事件)ですが、2020年(令和2年)6月の法改正で立法的解決が図られたとはいえ、刑罰法令は行為時のものが適用されるため、すなわち、2020年(令和2年)6月の改正道路交通法及び改正自動車運転死傷行為処罰法は適用されないため、今後も控訴審判決、さらには最高裁判決が注目されるところです。
以上